作/演出・枯木 脤(どんきい劇場)
出演:日吉 薫
江戸時代のおはなしです。
俗に日暮れの里と呼ばれていた日暮里は、東叡寺の裏手にある道灌山と御行の松との間に広がる里の事で
ございます。侘び住まいの根岸のさともそこにあったのでございます。
その御行の松から石神井川沿いに行きますと根岸の手前にこぶりな船着場。
そのやや上った奥にし折り戸があり
その柱に小さく「御宿ひぐれ」と書かれたふだが架かっている宿がございました。
鴉の声
「お客様のご到着だよ」
「すぐにおすすぎを、お持ちいたしますので。申し訳御座いませんね。
たった今、句会の方方がお帰りで。「天王寺さんの前でそれらしい方々にお逢いで。ひぐれの提灯を。
いえね、この時期日の暮れるのが、早いもんで若い者を付けてやりまして。
するとお客さまは?忍ばずの池のお花畑、北の方からお出でで、それはそれは、お疲れ様で御座いました
お部屋の方は、ご希望通り離れの方をご用意させて頂きました。
本日は、十三夜それに雲もありませんし 根岸の里の侘びと名月をご堪能頂るとありがたいのですが。
それに、句会の方々もお帰りで御宿されるのは、お客さま方だけでございます。
そそうがあるといけませんので、お伺いいたしますが、おつれのお方様は、どちらから?
箱崎の船宿から、船宿はどちらさまで?川しゅうさん。
それなら大船で。此方へは、しょっ中お客様を。
多分千住新橋の船着場ではなく、大川から山谷堀に入って宿の船着場へ付けてくださいますよ。
川しゅうさんなら勝手もご承知、離れの方へ直接ご案内いたします。
番頭も全て飲み込んでおりますのでご安心を。それでは、お部屋の方へご案内いたします。
まずは、こちらへ。
「お気付きになりました。お目ざわりとは、思いますがあの三味線。そりゃーそうですよね。
床の間にでーんと置いてあるのですから。花ならぬ、やぶれ三味線。
いえね、これには、因縁話がありまして。
お聞きになりたい。たいした話では、ありませんが・・
お連れ様がお出で迄の退屈しのぎにお話いたしましょうか。
さ、どうぞ(酒をつぐ)
私に?不調法なものですから
萩ですか、お気付きになられました、このやどは、もともと白萩屋敷と呼ばれておりましたので。
時期になりますとそりゃ一面白萩の花でそれはそれは、見事なものだったそうです。
どなたが、お住まいかと?
お旗本の青江さまのご別宅で、ご後室さまがお住まいになっておられたそうです。
なんでも ご後室様と青江さまとは、三十もお年がお離れで…どんなご事情がおありになったのか。
それに、ご本宅が火事に見舞われまして其の時焼けどを、それもお顔の左半分を。
それと謂うのもご病身の青江さまが居られないので、お探しに燃え上がるお屋敷にお入りになって。
こう、お顔の半分がやけただれ…白萩のようなお美しい方が醜い火傷のあと。
どんなにか辛く悲しかったことでしょう。
それ以来白萩屋敷を一歩のお出にならなかったそうです。
そのご後室様も、心の病でみまかわれまして、その後青江家様の方では使う人もなく荒れ果てておりました。
それが、どうして宿に?いえ簡単な事で。
青江様のご存知よりの方の口利きで料亭か茶屋にでもしたらどうかと
それで、いっそ御宿にでもとおもいたちましてね。
そうでした。あの三味線のことでした。
宿をするには、大分と手入れをせねばならず屋敷のあちこちと見て周りました。
ご後室さまのお座敷と隣り合わせの納戸を開きましたところあの三味線があったので御座います。
いえ、あの三味線だけが置いてありました。
全く不思議でございます。はい 破れておりました。
竿や胴の方は、傷ひとつ御座いいません。
それで、コレも何かの縁にし、多分ご後室さまが大切に為されていたにちがいないと存じましてね。
えっそのまま、とんでも御座いません。すぐに張りなおしました。
お客様ご存知ですか?三味線の皮は、猫だけではありませんのよ。
やはり、ご存知ありませんか。なにかって?ほほほ・・(声高に)
いぬ、犬の皮でですの。猫よりずーんとお安くて。なにしろお江戸の町中は、犬だらけございましょ。
年寄りどもが申しますに、生類憐みとかゆうお触れがなくなってからひどくなったとか。
中野の犬小屋ってご存知ですか?なにを突然にってお思いでしょう。お顔に書いてあります。
いえね、私しの母方の実家が中野で茶屋をやっておりまして。その当時は、それは大変だったそうで。
なにがですか?もちろん鳴き声と匂い。一時は5万匹からの犬がいたそうで。
一匹がおーんと鳴きますと次々、最後には5万匹のお犬様がおーんって。
それに糞と獣の匂い。とても人様の住める場所では無かったそうで御座います。
それが今じゃ桃園とか。犬の皮のことでした。そこで働く小役人が売っていたんですよ。
糞と皮。糞は近隣のお百姓に、皮の方は、生類あわれみとかで皮が手に入らない。
おとがめがあっただろうって。いえね、それが笑えるお話で。
生類のお触れの以前に買い置いた皮にはおとがめなし。
それで剥いだ皮を川につけたてリいぶしたりイロイロと工夫しまして古い皮に似せるんです。
あらまーとんだ寄り道話で。「後学になった。試し切りに犬を斬るから皮でも売るか」後冗談を。
それより、あの三味線、張り直して三日めの事でした。
それも、八つ刻。「バーン」とそれは凄い音がしまして。宿の者全員飛び起きました。
まるで天から大石が降ってきたみたいでした。
それがなんとあの三味線が破れる音だったんでございます。
それでこれは、はり方が悪かったのだと他の店にはりなおさせました。
それが、又三日めに「バーン」。私も意地になりましてね。
でも高価な猫は、やめにして犬の皮にしたんですが、はいお客様のおっしゃるとうり破れました。
全部で五回。さすがに怖くなりましてこの先の本行寺、月見寺の方が有名ですが。
ご存知ですか、ハイ物見塚のある、なんでも小林一茶とおっしゃる方が「かげろうや、道灌どのの、物見塚」
と詠まれたとか。
「物知りだねって」いやですわ、ご住職に教えて頂きまして。
そのご住職にあの三味線を供養していただきまして。
「その後は、張り替えないのか?」って。そうなんですの、
その夜お泊りになられたお客様で、ご祈祷を生される方がいらっしゃましてね。
その方が「これは、ご後室の怨念かもしれんな、供養なんぞじゃダメかもしれんぞ
いっそ若い女の皮でも張るか」って恐ろしい事おっしゃるもものですからあきらめました。
「あきらめるな、犬の皮ぐりいつでも都合してやる」ほほほ・・お願いいたしましょうかしら
あなた様がお元気なうちに。
おや、船頭のようで、きっとお待ちかねのお連れの方がお見えになられたの御座いましょう。
とんだ長話で申し訳御座いませんでした。・・
おやまー、白萩のようなお美しい方。
すぐにお食事お運びいたします
かたずけの方は、明日いたしますので、お二人でごゆっくりなされませ。
お香様やっと張りなおせます。後成仏下さりませ。
翌日、霧の立ち込める早朝、細長い箱を抱えた女が石神井川沿に大川へ向かったそうです。
その日を、最後に「御宿ひぐれ」なくなりました。